この記事は,アドベントカレンダー企画 にて「宇宙論の哲学,存在と神について」として22日の記事として書かれたものです。
注意:私は哲学や物理学などを大学などで専攻したわけではないので,不正確あるいは不適切な記述もあるかもしれません。話半分に聞いていただければよいのですが,明らかな間違いがあったら指摘していただけると喜びます。
宇宙論の哲学,存在と神について
時間がなかったのでこの記事はツイートのまとめとしました。
元ツイートはすべて私のアカウント (@vericava) のものです。
https://x.com/vericava/status/1710380906933088367?s=20
これは誰にも強制するつもりのない思想的な話になるが,現実的に考えた宇宙には終わりがあるし,そんなことを考えなくても人類(民)の歴史には終わりがある。その意味では終末論は正しい。 ただこれは人類が時間に乗っかった観測者であるからである。真の宇宙構造自体が有限であるかは議論があり,見渡す限りは無限であるが,人類が因果を持ち関知する範囲は有限の時空の広がりである。 時空は創発した見かけ上の構造であるという議論があり,そこでは時間はないので,全ては「永遠」の宇宙の一部である。これは人類の関知する宇宙すべてが宇宙そのものに構造的に記録されているとも言え,「アカシックレコード」のようなものである。 この宇宙が言うならば神そのものである。私が神(を信じるところ)の民であるかどうかはここでは議論しないし,絶対的な超越は科学の範疇外である。ただもし私が神を想像するならそれはすべてであり,すべてであるからひとつである。もちろん世界は部分からなっておりその解釈は自由であるが。 以上はそのような考え方ができるという視点であり,当然いろいろな考え方ができると思われる。 私は科学によってもたらされた観点に基づき思想的な観点について考えることについて興味があるが,なんらかの「教え」を導くことは目的としていないし,この議論からは不可能であり,そこについては宗教者各位に任せたい。
https://x.com/vericava/status/1710545756892053651?s=20
宇宙論的思想の観点からすれば,一部の多宇宙説の支持者が言うように「想像しうるものは全て『存在』する」というテーゼがある。「仮定上の思惟者」のもと,想像するものが全て「存在」し(広義の宇宙)その中で我々観測者が存在するもの(この宇宙)が見えているとする。
https://x.com/vericava/status/1710697023614431252?s=20
これはいい加減な議論だけど,因果性は時空における局在性から来るものなので,宇宙の始まりは単に時空の端であって理由など必要ないという議論が可能ではないだろうか。
https://x.com/vericava/status/1710967789367042538?s=20
もしこの宇宙が人間原理によってあらゆる宇宙の中から選ばれたとしたならば,この宇宙は生存可能な宇宙の中で極めてありふれたものであることが想定され,あらゆる宇宙を考えるならほとんどの宇宙は複雑であろうから,この宇宙が根源原理に至るまで例外的に単純ならばこの理論に不利になることになる。 証明されていないが,生命が存在するためには安定した環境が必要で,それには仮に宇宙の法則が複雑だったとしても低エネルギー近似において単純な法則が成り立つことが有利になるという議論がある。それならば現在この宇宙につきわかっているような単純な法則があってもおかしくない。 しかしながら,そうした「近似的にシンプルな宇宙」もより厳密な観点からは極めて複雑な物理法則を持っていることが十分に考えられ,それがこの宇宙に当てはまるならば「万物の理論(ToE)」の追求は極めて困難なものになることが予想される。
https://x.com/vericava/status/1710976014493548575?s=20
宇宙とその歴史全ては一定の大きさを持った時空の広がりであると考えることができ,そこでは時間はその中に描くことのできる特別な方向にすぎない。「宇宙の始まり」はこの広がりにおける単なる端であり,境界条件からその点は「無」と呼べるかもしれないが,特別な理由は必要ない。 次に生命に適した環境を考える。証明していないが,宇宙が極めて古いまたは無限の過去から存在していた場合宇宙は「フレッシュ」でなく熱的に死にやすく,したがって多くの生存可能な部分宇宙は「始まり」のある宇宙の始点近傍に位置することが示唆される。 人間原理より,この宇宙が私たちがいるところから観測可能なほどの近傍に「始まり」を持っていることはもっともらしいように思われる。
https://x.com/vericava/status/1710984690495316151?s=20
今までの議論を補強する議論として,可能世界と現実世界は本質的に内容に区別がないというものがある。たまたま見えているのが現実世界で,これを存在しているというならば他の世界も存在しているということができる。したがって想像可能な,ないし矛盾のない宇宙は全て「存在」する。 以上はテグマークの多宇宙論に対する永井均が引用したライプニッツの議論を用いた擁護。 元の議論としては,仮に神が可能世界のひとつを現実世界に転化する「創造」を行ったならば,これは何をしたと言えるのか(何かをしたと言うことができない)という議論らしい。
https://x.com/vericava/status/1711005376722993611?s=20
何が存在しているかというのは定義の問題で,私はこの地球が「存在」していると一般にされるのと同様の意味で(ただし物理的に観測されているわけではないが)ある種の概念や,一連の数学的構造が広義の宇宙の一部として「存在」しているのではないかという議論をしている。
https://x.com/vericava/status/1711008151867445618?s=20
心身問題は宇宙における「時間」の問題と類似しているように思われる。宇宙において時間が創発して,時間に流されている中から見える宇宙の描像と「時間」のない宇宙全体の描像(「神」の視点)の間に大きな断絶があるように,物理世界から見た身体とその中で創発した知性の持つ意識やクオリア→ →の間には,共につながりはあるものの大きな断絶がある。宇宙はこのようなよくわからない断絶をいろいろな階層に含んでいる。 もちろん,宇宙全体の描像というものは最新の物理学において多少示唆されているだけでほとんど分かっていないが。
https://x.com/vericava/status/1712470844377891014?s=20
温度ってエネルギーとエントロピーから定義したら面白そう。
https://x.com/vericava/status/1712521607242199425?s=20
CPT定理より CP対称性が破れているこの宇宙では T対称性(時間反転対称性)も破れているらしいけど具体的にはどうなるのか,時間の矢と関係あるのか,哲学者誰も議論していない。
補足:量子跳躍と関係があるらしい。
https://x.com/vericava/status/1713915370405576764?s=20
空集合は「無」かというのは難しい問題だけど,空集合以外の構造を含む世界においては空集合を用いていろいろなものを構成することができる。同様に「何も存在しない世界」は「その中」は無だけれども,その空っぽな世界を用いて空っぽではない世界に住む我々はいろいろな議論を構成することができる。
https://x.com/vericava/status/1713972666133266762?s=20
このことは明確に定義していないが,数学がこの世界に住む我々にとって「直感的」だったり「自然」だったりするかどうかを基準として作られることが多い以上,その数学が物理学にとって有用なのはいかにもありそうなことである。
https://x.com/vericava/status/1713982716772008031?s=20
この世界における物理は,なんらかの人間が認知可能な理論によってほんらい厳密に定式化できるようなものなのか,そうではなくてもいくらでも実在に近い理論が無限に存在するのか,気になるよね。 現代の物理学者の間の認識としては,「物理学は永遠に続く,」つまり物理理論はどんどん正確になっていくがその営みは終わらないと考えている人が多いらしい。 これは
- 検証手段が限られているために漸近的にしか真の理論に辿り着けないのか,
- 真の理論はじっさいに人間の論理によっては定式化不可能なものなのか。
https://x.com/vericava/status/1713983566684835898?s=20
数学的/論理的実在に関する議論は,数学的宇宙仮説に関するテグマーク批判にあるように,数学の言葉を厳密に理解して行わないと簡単に問題が生じることが知られている。
https://x.com/vericava/status/1713988053881241638?s=20
私は,もしこの宇宙の物理的実在に関する究極理論が仮に定式化可能ならば,それは極めて複雑で「大きい」と予想する。この宇宙は生命を許すために低エネルギー極限において単純な法則を示すようにできているが,もしこの宇宙が偶然選ばれた「典型的な」ものならその詳細は「エントロピーが高い」。 もしこの宇宙が計算可能なら,数学的に定式化可能な究極理論が存在することが導かれるが,逆は必ずしも真ではない。そもそも,宇宙が究極的に数学によって完全に記述可能かどうかは全く自明でない。 物理学者はこれに反して「この宇宙はシンプルなはずだ」という直感を持つことが多い。これは歴史的には神学的な「神ならばそうするはずだ」という思想が背景にある。現実的には,単に科学の方法によっては観測事実からは単純な理論を構成するべきだからである。
※神は自分に似せて人間を作られた。という話がある。これに対してそれは人間の傲慢じゃないかという考えもある。どちらにせよ,神の考えることは人間の理解を超えているのではないか。神が考えるとすればだが。
※シミュレーション仮説を考えると,われわれの世界の神はシミュレーションを走らせている実体ということになり,その場合は自分と似たような存在をつくりだすことに蓋然性がある。
https://x.com/vericava/status/1713991844865163355?s=20
もしこの宇宙が本質的に漸近的にしか究極理論に辿り着けないようにできているのならば,人類文明は有限の期間しか存在しないので,理論上も決して宇宙の「完全な記述」を得ることはかなわない。 この議論は本質的には宇宙が「有限」の記号列によって記述できるかに関係している。宇宙は時空的に有限でも無限でも構わないが,物理法則が有限に記述できない可能性がある。広さが有限でも,無限のミクロに続く階層構造が存在する場合がある。 これらの議論は宇宙が本質的に何であるかによって変わってくる。テグマークの言うように宇宙は数学的構造のクラスならば,これは集合であり可能な宇宙(の理論)は可算無限であることが期待される。
https://x.com/vericava/status/1713993441397588221?s=20
つまり,テグマークの「数学的に可能な宇宙がすべて存在する(それがすべてである)」というテーゼは広く信じられているように「全く無意味で,何も言っていないに等しい」わけではない。これは宇宙が有限の大きさの理論を持つ可算無限個しか存在しないという主張であり,仮説である。
※すべての宇宙 (多宇宙,すべてが「宇宙」であると定義した場合の広義の「宇宙」) がもし可算無限の存在なら,非可算無限である連続体濃度以上を考案した人間は思考だけなら宇宙には直接は存在しないものについて考えたことになる……かもしれない。
https://x.com/vericava/status/1713996718705098790?s=20
物理学者はまた,広く一般に,我々のもつ物理の数学的定式化の道のりはまったく「それ以外の方法がない自然なものではなく,恣意的なものである」と感じている。物理学がこうであらねばならない必然性はない。ほかの宇宙人が作るかもしれない「だいぶ違う物理学」も,対等であると考える。 これは物理学における「理論的構築物」は実在の記述でこそあれ,実在ではないということを含意する。
https://x.com/vericava/status/1713997646694916153?s=20
物理学者の多くがどうしてこのような一連の信念を持つに至ったかということは,それ自体が人文的研究に値する。
https://x.com/vericava/status/1714001279515804064?s=20
生物学において,最近では人間は生まれつき「大雑把な数」の概念を持っていることが示唆されている。ここから,数学はこのように進化的に与えられた能力を論理的に拡張して生まれたものであると考えられる。
https://x.com/vericava/status/1714216792271520161?s=20
時間的閉曲線が存在して,原因より「前」の時点に結果が存在した場合,歴史は制約を受けて原因が未来であってもこれを潰すことはできなくなると考えるのが自然。
https://x.com/vericava/status/1714297990771556804?s=20
チューリングマシンが可算無限個しか存在しないことからも計算可能集合(=計算可能なデータ)が可算無限個しかないことは明らかだけど,これが計算に使うとうれしい構造の範囲に示唆を与えている。記号的に変な構造を扱えるように見える仮想機械を作っても能力は向上しないので。
https://x.com/vericava/status/1715091829115510806?s=20
宇宙はひとつながりなのに,その中に我々が「個」として意識を持って生きているのはなぜかという問題がある。 詳細に議論していないが,宇宙は階層構造を持っていて,そのいろいろな部分が意識を持ちうるが,その中で地球にいるような生物個体はちょうどいい大きさとまとまりを持っていて,その結果として強い意識を持つに至ったのかもしれない。
https://x.com/vericava/status/1715432624574070994?s=20
情報技術界隈中心主義につよく反対している立場である私も,手段としての情報技術の有効性は認めているし,本来情報という概念は物理学の根本において極めて根源的な概念(エネルギーと並び立つ,あるいはそれよりも根源的な)でもあると思う。
https://x.com/vericava/status/1715433837621301503?s=20
私は残念ながらその詳細や数式のレヴェルの議論を知らないけれども,一部の物理学者が「どのようにして量子情報から宇宙の時空が創発するか」について熱心に議論しているということは,少なくない思想家や哲学者が注目しているところだと思う。
https://x.com/vericava/status/1715436886020530655?s=20
一般相対論の式に「エネルギー・運動量テンソル」が出てきてこれが重力の源であることは広く知られていて,素人目にも,時空の力である重力に直接関係している,またネーターの定理からも,エネルギー・運動量保存が時空に関する保存量であることは何となく察しがつく。 時空が創発するようなものならば,時空に関する保存量も根源的なレヴェルにおいては「マクロ」な保存則なのかもしれない。一方で情報は現代の量子論でわかっていることからもかなり根本的だと言われてるみたいで,こちらの方が根源に近いのかもしれない。
https://x.com/vericava/status/1715437760012828943?s=20
ある物理学者によれば,平たく言えば真空はものすごくもつれていて,これがすべてほどけてしまったら宇宙はバラバラになってしまう。
いい具合にもつれているかたまりが私たち生物なのかもしれない。
https://x.com/vericava/status/1715627436287914069?s=20
いくら私がサイエンスの理論と言葉を使っていても私がやろうとしていることが自然科学でないことははっきりしている。
https://x.com/vericava/status/1715682840724340979?s=20
そもそも人間が常に不完全である以上,何かを正義とみなして絶対視してしまうとそこに内在する問題が表在化してしまうだろう。絶え間ない反駁と改良から不可侵である思想なんて存在しない。 例えばマルクス主義に歴史的に価値があることはよほど過激な立場以外からは広く認められているところだけど,これを宗教のように反復して無謬化することには何もいいことがない。
https://x.com/vericava/status/1715684350224900191?s=20
人間の不完全性は伝統的には,宗教的思想によって正当化される。(人間は神ではなく,絶対的ではない。)これは歴史的には伝承の知恵として正当化されることもあるかもしれない。でも,実際のところ「不完全」であるとはどのようなことだろうか。
https://x.com/vericava/status/1715686649991192731?s=20
ひとつ言えるのは,人間は(技術,コンピュータや人工知能などの助けを借りたとしても)この人生の営みを完全情報ゲームにすることはできないし,また無制限の計算能力も持たないということかもしれない。 ここから少なくとも特定の「善」なり「正義」なりの基準に従って完璧に世界を運営することはできないことがもっともらしい結論として導かれるように思われる。
※神は,人間の想像することができるような「善」や「正義」などといった不完全な概念を超越したものなのかもしれない。
https://x.com/vericava/status/1715688339502932069?s=20
ヒルベルトの「有限の立場」とその延長においては,有限の形式的体系からなる論理や数学の領域においては,どのようなことが示しうるかを(いろいろな制約付きで)示すことができるが,現実世界において何かを正しいと示すことは,一般には困難であると考えられる。
https://x.com/vericava/status/1715690002368307258?s=20
何より現実世界において判断を下すのは人間だけど,その人間が下す判断は従来「合理的」であると考えられてきたものからはかなり離れていることがあるのは認知科学的研究で従来より示されている。
https://x.com/vericava/status/1719071655107186815?s=20
観測者がいることによる宇宙への制約である人間原理はあるけど,観測者である自分はいろいろな時代の(いろいろな星の)いろいろな生き物(?)に生まれてくる可能性があったかもしれない(?)中でどうしてこの時代とかに生まれてきたのかにも確率論は適用できたりする?(不十分な議論) 自分がこのように宇宙や生命について考えていることが「私がなぜ私なのか」に与える制約とか。
https://x.com/vericava/status/1731910655186555118?s=20
距離はエンタングルメントだって話があるので,局所性ってなんだろうな。実際量子の物理学的な「実在性」は成り立たないかもしれないし。
https://x.com/vericava/status/1731913954744840415?s=20
例えば時間ってなんだろうなって思ったときに,純粋に思弁的な話をして満足するのではなく,人文学の議論であるにせよ物理学で何がわかっているのかを明らかにした上でその肩の上に乗っかって議論したい。
https://x.com/vericava/status/1733192722205589578?s=20
究極的にはどんな有名なひとも何も残らないし文明も生命も消えるけどそれって単に有限の時空の広がりを占めているってことの言い換えでしかないからまあ。
https://x.com/vericava/status/1733900570443035127?s=20
死ってものを考えるときに時間って自明視されがちではあるが,自明ではないし,客観的世界から考えたときに,4次元的に考えれば,私の体が1mちょっとの空間的広がりを持つことと,人生が数十年から百年の長さを持つことって相似的であると思う。
https://x.com/vericava/status/1733901755480711224?s=20
何が時間について特別かというと,私は常に時間に流されることによって思考し世界を認知し「行為」しているということで,言い換えると宇宙をある特定の時間的な方向に向かう線上をなぞることが人生なんだよね。
https://x.com/vericava/status/1733922729517305975?s=20
物理学の知識って別に特別な小道具なんかではなく,哲学という劇場の普通の舞台装置のひとつだと思ってて。
https://x.com/vericava/status/1734969875091911057?s=20
人間の基本的性質 ≠ 論理,だと思ってる。論理は一部の人間が勝手に人間の思考の粗末な抽象化として作っただけで,人間は普通はもう少し違う考え方をしている。
少し神学論争みたいだったかもしれませんが,楽しんでいただけたでしょうか。
私の議論は不十分だったかもしれませんが,みなさんも,宇宙や存在 (,神) について考えてみましょう。
X (formally known as Twitter): @vericava