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パーソナリティ傾向からみる哲学的立場の違い——「私」が現実感を持てる世界の記述とは

この記事は,アドベントカレンダー企画「パーソナリティ傾向からみる哲学的立場の違い——「私」が現実感を持てる世界の記述とは」 にて15日の記事として書かれたものです。


注意:私は哲学や認知科学などを大学などで専攻したわけではないので,不正確あるいは不適切な記述もあるかもしれません。話半分に聞いていただければよいのですが,明らかな間違いがあったら指摘していただけると喜びます。

ひとによって実際に体験し感じる世界はかなり違ったものであるだろうなぁと想像する。多分本当にかなり違う。

その上で,各個人に現実感を持って受けいれることができる世界の見方というか,記述の仕方というのが存在する。

精神医学において,パーソナリティ傾向というのは,主に行動の特性から記述される。各人がどのような行動をするかということは,それぞれがどのように世界を認知しているかということに立脚しているだろう。従って,パーソナリティ傾向とそのひとがコミットする可能性が高い哲学的立場というのは相関するだろうというのが私の予想である。(これはすくなくともまだ正式な研究ではない。最低限でも先行研究を良く調べる必要がある。)

なお,これの研究は方法を気を付けないとかなり危険なものになりうるということは注意しておくべきだろう。

各個人が実際に世界を感じるその質というものは,言語で記述可能なものではないとする立場もあるくらい,共有困難なものである。少なくとも,実際に感じることはできない。

一方で行動の特性というものは外部から記述可能である。そこで,それらに関係があるのなら,これらの関係を記述することは学術的に有意義であろう。

あくまで,傾向というものなので,一方から一方を「決定」することはたぶんできないだろう。しかしながらこれらには関係があるのではないだろうか,という話である。

あまりぱっと来ない方もいるかもしれないので,私がとりあえず語ることができる自分の話をする。

私は,世界についての命題としては「こういう前提の元ではこういう見方のもとでこういうことが言える」という形のことしか言えないのではないかと思っている。

科学も例外ではないだろう。科学は,科学哲学が明らかにしたように,特定の思想的原理に基づいた妥当性の体系である。ただし,これは多くのひとにとって迫真的であり,極めて精巧にできているし,記述として良く成功している。なぜ科学の原理にもとづいた探求がうまくいったのかということは,メタ科学・科学哲学や科学史において重要なテーマであろう。ともあれ,科学の成果もまた「前提」,「原理となる科学的な世界の見方」,「主張」の3点からなる。

そうであったとしても,ひとにはみな「自分が現実感をもって受けいれることのできる世界の見方」というものが存在する。私にもある。

自由意志というものは極めて良く議論されてきた,そしてまだ,少なくとも素人目にはなかなか判然としないテーマである。

私は,この自由意志に関する議論の一部は少なくとも言葉遊びに限りなく近いものになってしまってるのではないかと危惧している。また,実際にネット上で素人が自由意志についての議論をすると忽ち叩かれるであろう。それは既にされてきた議論を踏まえていないことが多いからである。

そこで,私は渾然としたさまざまな議論のなかから,「責任」という概念を取り出してみたわけである。これもまた一筋縄ではいかないテーマではある。法哲学の基盤ともなり,現実的には司法などで当たり前のように使われている言葉であるが,あまり日常では「責任をもって」(笑) 使われていないようである。

ここでいきなり出すが,これに関して,私が現実感をもって受けいれることのできる世界の見方というのは,こうだ:

言明1

任意の人間は,「人間は責任を持つことができる」と思っていることがあるかもしれないが,それはそんな気がしているだけである;究極的には,任意の人間は,任意の事象に対して,責任を負うことはできない;責任というのは,人類の進化上有利であったため進化したミームである;前提から明らかに,これを現実的に放棄すると社会が大混乱に陥るので捨て去ることができないのだが,それでも本質的なものではない。

これは実際にもっともなもので,一考に値するのかもしれないが,異端的な考え方ではあり,大半の人間が抱かないこのような考え方を私が持つに至ったのは,私が自分の行動に主体感を持つことができないからかもしれない。

これが例である。

ともあれ,世界に多様な認知の仕方を持った個体が存在するということは,思想の多様性につながっているのであり,人類の強みのひとつではないだろうか。